三国夢想

絵師の手による魅力的な肖像(と管理人の駄文)をお楽しみください

三国列伝―蜀・馬雲騄

馬雲騄(かまいたち)

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馬雲騄(ばうんりょく)字が雲騄か
西涼の人(?〜?)

〜経歴〜
孔明が司馬懿を地雷で爆殺し、蜀が三国統一するトンデモ小説「反三国志(光栄から超三国志の名でも刊行)」にのみ登場する。
馬超の妹。のちに趙雲に嫁ぐ。
才色兼備で弓の腕にすぐれ、彼女が射た敵を味方が討ちとったり捕えるのが黄金パターン。
光栄のシミュレーションにも登場する。


  1. 2008/02/21(木) 01:12:01|
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三国列伝―蜀・伊籍

伊籍(かまいたち)


伊籍(いせき)字は機伯(きはく)
山陽郡の人(?〜?)

〜経歴〜
蜀の臣。
若い頃から同郷の劉表(りゅうひょう)に仕える。劉備が荊州に身を寄せると親交を深め、劉表が没したのちは劉備に従うようになった。
徐州時代からの重臣である孫乾・簡雍らに次ぐ地位を与えられ、諸葛孔明や法正らと蜀の法律「蜀科(しょくか)」を制定した。

呉に使者として赴いた時のこと、孫権は「無道な君主に仕えるのは苦労するだろう」とからかった。
しかし伊籍は平然と「いいえ、一度頭を下げてそのまま立ち去るだけですから」とやり返したため、孫権はいたく感心した。



  1. 2008/02/18(月) 02:57:28|
  2. 三国列伝−蜀
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三国列伝―呉・丁奉

丁奉(極)


丁奉(ていほう)字は承淵(しょうえん)
廬江安豊の人(?〜271)

〜経歴〜
呉の将軍。
若い頃から武勇を知られ、常に先陣を務め手柄を立て続けていたため、生傷が絶えなかった。
魏が諸葛誕らの大軍で攻めよせたとき、呉は諸葛恪(しょかつかく 瑾の子)が迎え撃った。
諸将は「太傅(たいふ 恪の役職)が来たと知れば敵は恐れて逃げ出すでしょう」と追従したが、丁奉は一人冷静に「国内を動揺させてまで敵は遠征してきたのです。手ぶらで帰ることはありません」と戒めた。

丁奉は軍の歩みが遅く、このままでは先に拠点を抑えられてしまうと思い、手勢を率いて先行し、無事に拠点を確保した。
敵は大軍だったため小勢の丁奉をあなどり、近づいても笑いながら酒盛りしていた。しかし丁奉はひるまず切り込み、敵の先鋒部隊を散々に打ち破った。

孫休(そんきゅう 呉の三代皇帝)が即位したとき、国の実権は孫綝(そんちん)が握っていた。孫休は孫綝を誅殺しようと図り、腹心の張布(ちょうふ)に相談した。張布は真っ先に丁奉を推挙した。
召し出された丁奉は「孫綝には配下が多く簡単には殺せません。会合の際に暗殺しましょう」と献策した。策はあたり丁奉は油断していた孫綝を首尾よく斬り殺した。

その後も重用されたが、地位を得た丁奉は次第に傲慢になり、名声を失っていった。
丁奉の死後、讒言によって過去の失敗を掘り起こされ、丁奉の家族は流罪となった。

〜民間伝承〜
「演義」ではずいぶんと登場が早く、赤壁の戦いの頃から姿を見せているが、その頃にはまだ幼年と思われるので、年齢が合わない。
早くから登場しているのは、どうやら民衆に好まれていたようで、こんな民間伝承がある。

丁奉は常に小さな鉄球を持ち歩き、投げれば百発百中だった。諸葛孔明と戦ったとき、孔明は船に乗って退却していった。
そこで丁奉は鉄球を投げつけ、船の帆を引っ張る滑車を壊した。帆は孔明の部屋に落ち、趙雲はあわてて帆を破り孔明を助けると、船を捨てて逃げ出していったという。


  1. 2008/02/12(火) 00:58:28|
  2. 三国列伝−呉
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三国列伝―呉・沈瑩

沈瑩(かまいたち)


沈瑩(しんえい)字は不明
出身地不明(?〜280)

〜経歴〜
呉の臣。張悌の副将。
晋の大軍が呉に攻めよせてきたとき、張悌は長江を渡り先制を仕掛ける策を立てたが、沈瑩は「長江を渡り一か八かの戦いを仕掛けもし敗れたら、国家の危機は決定的なものとなる」と反対した。
しかし張悌は「呉が滅亡しようとしていることは子供でも知っている。国家の危機はいまに始まったことではない。相手が長江を渡るのを許したら、民衆はここまで深く攻め込まれたのかと恐れおののくことだろう。逆転勝利を狙うにはこちらから仕掛けるしかない」と断言した。さらに「国家の危機に臨んで、一人も命を投げ出さないとは恥ずかしいではないか」と述べたため、沈瑩も張悌に従った。
沈瑩は『青巾兵』と名づけた軍を率い奮戦したが、衆寡敵せず捕えられ、張悌とともに処刑された。



  1. 2008/02/11(月) 23:51:51|
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三国列伝―その他・高順

高順(極)


高順(こうじゅん)字は不明
出身地不明(?〜198)

〜経歴〜
呂布の重臣。
酒も飲まず贈り物も受け取らない清廉な人柄で知られ、戦ってはあらゆる陣を落とすことから「陥陣営」という異名をとった。
郝萌(かくぼう)が反乱を起こしたとき、反乱者たちが使っていた言葉を聞くや、すぐに首謀者は郝萌だと見抜き、これを討ち取った。

主君の呂布に対しても「国家が滅亡するのは名臣がいないからではなく、名臣を用いないからです。将軍は深く考えずに思いつきで行動することが多い」とずばずば諫言したため、呂布は高順をけむたがった。郝萌の反乱を鎮圧し、高順の名声が高まるとますます遠ざけるようにより、高順の配下をすべて魏続(ぎぞく)のもとに移してしまい、実権を奪った。
しかし実力は認めていたため、戦が始まるとわざわざ高順に配下を返していた。そのようにあからさまな不遇ぶりだったが、高順は決して恨まなかった。

高順の軍は向かうところ敵なしで、曹操と戦っては夏候惇を破り、劉備と戦っては城を攻め落とし妻子を生け捕りにした。
しかし最後まで愚かな主君に振り回される。曹操の大軍に囲まれた際、陳宮(ちんきゅう)とともに城を守り、城外に打って出た呂布と連携して戦う策を立てたが、呂布は妻に「高順と陳宮は仲が悪いから城を守れないでしょう。私を見殺しにする気ですか」と泣きつかれ、出撃を取りやめてしまう。
結果、呂布・高順・陳宮は候成(こうせい)の反乱により捕えられ、そろって曹操に処刑された。

地味ながら三国志でも屈指の実力を誇った、悲運の名将。それが高順である。


  1. 2008/02/09(土) 00:42:57|
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